「ユーモアセンスを身に付けるには」

ユーモアセンスは、人間関係やコミュニケーションをよくし、病気の予防や治療にも役立つと言われています。

では、このユーモアセンスを身に付けるにはどうしたらよいでしょうか。

一番目の方法としては、相手の気持ちがよく分かる、相手の立場に立って考える
ことができるようになるということです。そうであってこそ、状況に合わせ
てユーモアを飛ばすことができます。

そのためには、常日頃、自分のことばかりではなく、まわりの人たちにも関心
をもたなければなりません。

自分のことばかり考えていると、相手の気持ちや考えていることが分からなく
なります。気付かずに相手を傷つけるようなことを言ったり、したりしている
かもしれません。これでは、適切なアドバイスができないばかりか、相手を喜
ばせることもできません。

一生懸命に人生を生きているのは自分だけではありません。まわりの人たちも
よく観察すると、それぞれの人生を皆一生懸命に生きていることが分かります。

こうした人たちに関心を向ける必要があります。人はどんなことで喜び、悩む
のかよく観察する必要があります。

人はどんなことに興味関心があるのか常日頃よく観察する必要があります。
他人の人生を観察することにより、相手のことが分かるだけでなく、自分自身
にとって参考になることもあるかも分かりません。

人に関心を持つ根底には何があるでしょうか。

それは人に対する優しさではないかと思います。愛情といってもよいかもしれ
ません。人をよく理解するには人に対する優しさ、愛情が必要です。これがあ
れば、相手がよく分かるようになります。

母親が赤ん坊の泣き声を聴いただけで、ミルクが欲しいのか、オムツを替えて
ほしいのかが分かるというのは、母親の赤ん坊に対する愛情ゆえんでしょう。

会社などでは、自分とうまが合わない嫌いな人とも一緒に仕事をしなければな
らない場合があります。会社などでは自分と気の合った者同士だけで仕事を
するわけにはいきません。このような場合は、無理をしてでも相手のことを
好きになることです。

そのためには相手の嫌いな面を小さく、よい面を大きく見ていくようにすれば
よいでしょう。そしてこちらの方から積極的に話しかけたり、かるくジョーク
でもとばしていれば、相手もだんだん打ち解けてくるでしょう。結果的に、
それまでの人間関係が好転するかもしれません。

ユーモアセンスを身に付ける二番目の方法は、頭を柔軟にするということです。
頭が固い人とはどういう人でしょうか。それは自分だけの固定観念にとらわれ、
相手のいうことには少しも耳を傾けず、融通が利かず、どちらかといえば頑固な
タイプの人です。

従って、この逆をやれば頭を軟らかくできます。自分一人でしゃべろうとはせ
ずに、人の話はよく聴くものです。いわゆる傾聴の姿勢が大切です。特定の
考えに固執せず、多くの意見を聞き、世の中には多くの考えがあることを知る
ことです。

そのためには他の意見や考えを受け入れる、素直さが必要です。

そして、頭が固いということは、視野が狭いためにおきることでもありますか
ら、常日頃から興味関心の領域を広げ、勉強しつづける姿勢が大切です。知識
や経験を広げ、深めていく努力が必要でしょう。

知識や経験が増えるとユーモアをつくりだすことが容易となります。

(本テーマ完)

「行き過ぎた厳罰主義」

犯罪防止のために、刑罰を重くすれば、犯罪や重大犯罪が減少するのは事実です。また再犯防止にも効果的です。

ただしこれは、ある程度までです。
厳罰化と犯罪の発生には平衡点が存在するのではないでしょうか。

行き過ぎた厳罰化はそれほど効果がないように思われます。それよりも経済をよくしたほうが、盗みや、引ったくりは減るかもしれません。

一般的に、規則や法律を厳罰化すれば規則や法律違反が減るというのは正しいのでしょうが、行き過ぎた厳罰主義には疑問があります。

制定当初は確かに効果があるようにみえる場合もありますが、日が経つにつれ、またもとに戻ってしまうようです。

例えば、交通違反の罰則など次第に厳罰化していますが、違反はいっこうに減りません。いたちごっこをしています。

これは道路事情などの根本的な解決がなされていないからです。

近年では路上駐車が全面的に禁止されるようになりましたが、都市部などでは、十分な駐車スペースがありません。

こういう状態ですとまた、目を盗んでの路上駐車、あるいは法の網の目を抜けた駐車が増えるようになるかもしれません。

都市部での十分な駐車スペースの確保が先決だと思います。

(本テーマ完)

「夢をかなえる」

中国の故事「韓信の股潜り」は、大志を抱く者は、小さな恥辱に耐えなければならないという教訓です。
漢の高祖を助けて天下統一の功績のあった名将の韓信は、青年時代に、町のやくざの若者から侮辱を受けたが、よく我慢してその股の下をくぐったという故事からきています。
大望を抱く者は腹を立てずによく忍耐しなければならないという教訓です。

これと似たようなことを作家の司馬遼太郎は簡潔に「大事は小事より破る」
(歳月、文庫本P.453)と表現しています。

 

やはり現代の我々も、特に若い人たちは、長期的には、何をしたいのか、何になりたいのかといったような将来のビジョンを強く持ちつづけ、途中の誘惑や小さなことで足をすくわれないようにすることが大切だと思います。

人間はどうしても安きにつきやすく、自分に甘い面がありますので、夢を現実のものにしていくには、ある程度欲を抑えて、自分に厳しく、ストイックに生きていかなければなりません。
夢は思っただけでは実現しません。それを実現するために、強い思いを持ちつづけ、途中小さなことや誘惑に負けることなく、それなりの工夫と自助努力が必要だと思います。

もし人に頼りやすい性格であれば、これも直さなければなりません。

夢は自分でかなえるものです。

人がかなえてくれることはあまりないでしょう。「棚からぼた餅」式のように、たとえあったとしても、それは自分で努力していない分、本物ではありません。

簡単に崩れ去ってしまいます。夢の実現にはやはりそれなりの努力が必要だと思います。

本テーマ完

「習慣を長続きさせるコツ」

いつも何かを長期間継続しようと思って、始めてみてもすぐに3日坊主で終わってしまい、自分に嫌気がさし、ジレンマを覚えたことのある方もたくさんおられることと思います。

私の場合、昔、会社の健康診断で生活習慣病(当時の成人病)のきらいがあるといわれました。みなさんも、よくごぞんじのように、この病気の原因は明らかです。

主に食べ過ぎと運動不足です。運動については、さっそく体質を改善すべく、ジョギング、水泳、サイクリング、筋肉トレーニング等をやりはじめました。


食事についても、食べる量を減らしたりしました。間食もやめました。
飲酒も減らしました。しかし、なかなか当初の計画どおりにはいきませんでした。

いつも計画倒に終わりました。これのくり返しでした。いわゆる3日坊主です。

このように長続きさせるには、どうすればいいのか悩んでいる時期に、ある会合で、ポルトガル語の通訳のボランティをやったことのある知り合いの方といろいろと話している中で、たまたまボランティアを長続きさせるコツを聞く機会がありました。

その方は、ボランティアのプロ(こういう言葉があるかどうかしれませんが)の講習会で、そのプロがボランティアを長続きさせるコツとして、次の3点を述べたそうです。それはきわめてシンプルなものでした。

1. できることを
2. できる時に
3. 無理なく


ということでした。

これを聞いて、私はなるほどそうかとひざを打ちました。

何かを習慣化するのもこれといっしょではないかと思い到ったわけです。
思えば、当初は私も、勢い込んで無理な計画を立てていたようです。

さあやるぞというときには、どうしても多少無理な計画を立ててしまう傾向が
あるようです。そしてだんだん苦痛になってきて、習慣化する前に止めて
しまいます。

皆さんもそういう経験がおありだと思います。自分に気付かせてくれたこの3つの貴重なアドバイスに従って無理のない計画を立てました。それ以来、毎週休日の土、日、祭日には軽いジョギングを17年間継続しました。

そして家に帰ってからは軽い筋肉トレーニングを行いました。

また平日の出勤前にはラジオ体操と腕立て伏せを50回行いました。自分にはこの程度がちょうどよいようです。

ただ、退職してからは年をとったせいか、ジョギングを散歩に替えました。しかし毎日行っています。
もちろん体操、筋トレも毎日行っています。

こうしたおかげで、体調はよく、体重は20代の頃とあまり変わらなくなりました。

 

昨年の9月のある日曜日に、いつものとおり朝早く、1時間ほど散歩をした時に、田んぼのあぜ道などのあちこちに赤い彼岸花が咲いているのをよく見かけました。どうして、花は申し合わせたように、一斉に咲くのだろう? 
  どうして、あんなきたない土の中から、あんなきれいな花が咲くのだろうかと
ふと不思議に思ったりもしました。自然は生きてるなと実感したりもします。

そして癒されるような気もします。散歩の効用でしょうか?(本テーマ完)

「行き過ぎた結果主義、成果主義」

最近では、企業において、従来の年功序列が次第に崩れ、成果主義、結果主義が欧米にならって採用されるようになってきました。これは経済がグローバル化し、規制緩和等で競争が厳しくなったこと等と関係がありそうです。

これはこれで、歓迎すべきことかもしれません。努力し、成果を上げた人をそれなりに評価することは個人のやる気を引き出し、個人、企業、ひいては社会全体の成長につながってまいります。 

ただどこの企業もはっきりとは明言しませんが、その成果主義を、厳しい経営環境を乗りこえるために人件費抑制に利用するというあまり表ざたにされない口実もあるようです。

だいぶ前になりますが、日本の有名な某会社が、日本でも最初の段階で、この成果主義を採用し、徹底しました。
その結果、弊害ばかりがでてきて経営も危うくなったので、見直しを行ったとのことです。

 どういう弊害かというと、

 (1)新製品が生まれにくくなったということ。
      なぜかというと、すぐに結果を出す必要があるために、皆が長期的視点に立った      会社の経営や利益をあまり考えなくなったからです。
      誰でもが目先の利益だけを考えて、評価されようとしたからです。

(2)協調性が失われた
    成果で評価されるために自分の仕事だけをするようになった。
   その結果、チームや組織全体のことをあまり考えなくなり、また、人の仕事を   手伝ってやるということがなくなった。

 以上のような弊害が生じたということを聞きました。
 このような弊害は、よく考えてみれば当然といえば当然と言えるかもしれません。
 人間というものをよく知っていれば、予想できることでしょう。

さらにこの成果主義を継続していけば、人間の特性から考えてどのような弊害が生じることが予想されるでしょうか?

私は次のように考えます。

(3)何か失敗しても、すぐに人や、組織といった他の責任にする。
    責任のなすりあいが行われる。素直に自分の責任と受け止めないために、失敗から学ぶことがない。
    その結果、成長することがない。それは個人にとっても、企業にとっても損失となる。

(4)成果さえあげればいいとなると、姑息な手段や、人をだますような手段、違法な手段をとりかねない。
     これは個人レベルでも、企業レベルでも起こり得ることです。

 やはり結果だけの成功ではなく、動機と成功に至るプロセスも重視する必要があるようです。
 いずれにしろバランスが大切でしょう。どちらかの両極端に走ると無理がきてひずみが出るようです。

 日本の年功序列もいい面があります。現代の日本社会のシステムでは、結婚して中高年になるにしたがって、お金がかかるようになっています。
 こどもの教育費や住宅費等などがそうです。

 やはり成果・能力主義年功序列制度の両方のバランスをとるのが大切だと思われます。

(本テーマ完)

「家庭は社会の縮図」

家庭は社会の縮図であるとよくいわれています。

家庭の中には、社会の、先輩・後輩あるいは上司・部下といった縦の関係、友達・同僚・仲間あるいはグループといった横の関係、男女の役割(*ジェンダーフリーの問題はここでは触れないことにします)といったものの縮図が投影されています。

親子、兄弟姉妹、夫婦、家族間の関係がこれに相当します。
親が意識していようがいまいが、子供は家庭の中でこれらの関係を学んで成長して、社会へ出ていきます。

従って、どのような大人になるか、親の責任は重大です。
子供を育てる時は、親はこのことをよく意識して育てる必要があるでしょう。

子供は親のことをよく見ているものです。そしてよく真似もします。親が言っている言葉を真似してそのまま口にすることがよくあるものです。
親が常々悪い言葉を吐いておれば、子供も真似します。

夫婦げんかが絶えなかったり、いつも夫、あるいは妻に対して不平、不満を言っていませんか。
身内という甘えもあり、感情がストレートに出てしまい、つい悪い言葉を吐きやすくなります。

悪い言葉が出そうになったら、ぐっと思いとどまり、ブレーキをかける必要があります。
親しき中にも礼儀ありです。

また兄や姉に対しては弟や妹の面倒をよくみるように言い、弟や妹に対しては、兄や姉の言うことをよく聞くようなことを教えてやる必要があるでしょう。

親がこれらを意識して子供をしつけさえすれば、ちゃんとした大人になっていくと思います。

「三つ子の魂百までも」といいます。特に幼少期のしつけは大切です。


本テーマ完

「学校では教わらないこと」

一般に人をみてみると、学校の学力や成績がよかったからといって社会へ出て必ずしも成功するとはかぎらないようです。

社会へ出てから成功するには学力以外に、「人間としての信用や信頼感がある、考え方が明るい、積極的で建設的である、陰で悪いことをしない、約束は守る、人のためになることをする、自分に厳しく人には優しい、寛容である、人間関係が良い、忍耐強い、無私である」等が重要な成功要因になっているようです。

これらは持って生まれた性格的部分もありそうですが、教育や努力次第で改善していく余地は充分にあります。

これらは、今の学校教育では十分には教えられないので、家庭における、特に幼いうちからの教育、しつけが大切です。

いくら頭がよくても性格が悪ければ何にもなりません。
悪いことを考え世の中に害を流すだけです。

腹黒いことを何時も考えているような人は信用されません。
そういう人には協力したくなくなります。

学生時代はいくら成績が良くても、考え方が暗く、消極的な人生をその後もずっと続けていくならば、人生は開けてこないでしょう。

今の学校教育では、人生において重要なことをあまり教えていません。

従って、子供が小さいうちは特に家庭教育が大切です。まずしてよいことと、悪いことの善悪を教えることが必要でしょう。

家庭でこうした重要なことを教えなかったら、一体誰が教えてくれるでしょうか。

教育はまず家庭から始まります。

教育の原点は家庭にあります。

(本サブテーマ完)