「お金の使い方で分かる人としての人物」

最近では格差社会とかいって、派遣労働者の人たちのように契約を突然打ち切られたりして、働いても楽にならずその日の衣食住にも事欠く厳しい世の中となっていますが、これは政治や経済で解決すべき問題だと思われますので、これについては触れません。ここでは一般的な話をします。

たいていの人がお金は欲しいと思っているでしょう。自分もそうです。多ければ多いほどよいと思っているのが正直なところです。

ただ、ある人が言っています。
「人の値打ちは持っている金銭の多寡ではなく、それをどう使うかによって決まる。」

なるほどと思いました。

例えば、生活に困らないぐらいのお金があったとして、ある人は、ギャンブルに使い、ある人は子供の教育費に重点投資し、また、ある人は資格をとるための将来の先行投資として使う。
ある人はどこか慈善団体に寄付をする。ある人は、それを元手に企業を起す。

ある人は、宝飾類を買い集める、旅行する、車を買い換える、趣味に使う、将来に備えて一定の割合を貯蓄する。宝くじを買う。資産を増やすために株式に投資する。

個人的にみれば、その時々の心境、必要性に応じて千差万別ですが、人によってある程度の傾向性はあるのではないかと思います。

使い方を、1つのグループは、「目先のことに使ってしまう。単なる享楽のために使ってしまう。ムダ遣いをする。」、

もう1つのグループは、「長期的観点から考えて使用する。ムダ遣いをしない。自分を向上させることに使う。人のためになることに使う。」
というように2つのグループに分けた場合、

どちらがよいかは明白です。誰が見ても、使い方が偉いなと思える方がよい使い方です。

だれでも、どちらか一方に完全に偏ることはないと思われますが、できるだけよいグループの方へ偏るようにしたいものです。

ある人が言っています。「お金、家、土地、宝石類などのこの世的財産は、あの世に持っていけないが、心の財産は持っていける。」 

そういうことであれば、たとえ貧しくとも心だけは貧しくなってはいけない。心の財産の億万長者になることを肝に銘じたいと思います。

(本テーマ完)