今回より2回シリーズで本サブテーマについて話してまいります。
人をみるのに、二通りの見方があります。
性善説とは、人間の本性を善とみる説であり、すべての人間の心には善へと向かう方向性が内在するとしています。
一方、性悪説とは、人間の本性を悪とみる説であり、放っておくと悪いことばかりするようになるので、教育・訓練等により、矯正していかなければならない、としています。
「人間罪の子」の思想も、性悪説と通じるものがありましょう。
何人かの人たちに、あなたはどちらの説をとるか、と尋ねたことがありますが、性悪説の人が過半数でした。
バブル崩壊後の長引く不況も、その一因となっているかもしれませんが、新聞、テレビ等では、毎日のように犯罪のニュースが報じられています。
最近では、政治家や役人の贈収賄、企業ぐるみの隠ぺい工作、あるいは保険金目当ての殺人等が、目立つようです。
こうも、悪いニュースが多ければ、人間不信に陥って、性悪説をとりたくなるのも、無理もないかと思われます。
私はどうかといえば、性善説をとっています。
この理由について、私なりの見解を以下に述べていきたいと思います。
ほとんどの親が、自分の子供は、可愛いと思っているものです。
たとえ、世間から非難されるような悪いことをしても、自分の子供は、どうしょうもない本当の悪人であるとは、思っていないでしょう。
魂まで腐っているとは、思いたくないでしょう。何とかして、立ち直らせようとするでしょう。
動物でさえ、親は、自分の子を慈しむものです。
また、家族同士が、仲むつまじく生活しているのをみて、どう思われるでしょうか。
彼らは、お互いを、本当は悪人だと思い、疑いの目で日々接しているのでしょうか。
そうとは、とても思えません。
人間性悪説をとれば、仲むつまじい調和のとれた家庭は、世界中どこにも存在しないことになります。
また、企業経営の中へ、性悪説の考え方を、持ち込めばどうなるでしょうか。
従業員は放っておけば、必ず不正を行うものだ、という立場をとるため、不正防止のために、より厳しい規則・罰則や、何段階にもわたる、必要以上のチェックシステムが、採用されるようになるでしょう。
その結果、管理コストが、必要以上にかかることになり、企業の収益を圧迫することになりかねません。
また、経営者と従業員が、相互不信に陥って、まともな企業活動ができなくなり、長期的存続が難しくなるでしょう。
次回は、なぜ、人は善を求めるようにできているのか、一つの見解を述べてみます。
(次回へ続く)