口は一つ、耳は二つ, なぜ?(2)

 (しゃべりたがる理由)

 どうして人にこのような傾向があるのか、いろいろと調べたり,考えてみたりもしましたが、世界的ロングセラーとなったD・カーネギー著の「人を動かす」が参考になりそうです。

この中で著者はアメリカの第一流の哲学者であり教育家でもあるジョン・デュ―イの
次のようなことばを紹介しています。
 
 「人間の持つもっとも根強い衝動は、『重要人物たらんとする欲求』である。」

 さらに、すぐれた心理学者としてウィリアム・ジェームスの次のことばも紹介しています。

  「人間の持つ性情のうちでもっとも強いものは、他人に認められることを
渇望(かつぼう)する気持ちである。
 
 どうも淵源はこのへんにありそうです。「重要人物になりたいという欲求」も
「他人に認められたい、評価されたいという欲求」も同じ欲求の違った表現でしかありません。

二〇世紀の偉大な心理学者フロイトのいう「偉くなりたいという願望」も同じでしょう。
 
 D・カーネギーはこれらをまとめて「自己の重要感に対する欲求」といっています。

この欲求は個人の成長の源泉ともなっています。この欲求があるからこそ社会も発展します。
 
 ただ、往々にして人は、もっとも強い欲求であるこの「自己の重要感」を満足させるために、他人の話に耳を傾けるよりもより多く自己主張をするのだと思われます。

これは度が過ぎると一種の自己顕示欲となります。
 
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口は一つ、耳は二つ、なぜ?(1)      

 3回シリーズのテーマです。
 
 (しゃべりたがる自分)

 どうも人間というものは、人の話を聞くよりも、自分でしゃべる事の方に夢中になる
性向を持っているようです。

たとえば、職場で休憩時間などにリラックスして同僚たちと談話をしていると、よく話がいろんな方向に展開、発展していく場合があります。

 このような時は、各個人がそれぞれに自分の思いを活発に述べている状況がかもし出されているわけですが、人の話はろくに聞いていない場合が多いようです。

人の話に素早く割り込んで誰よりもいかに早く自分の思いを開陳するか、そのタイミングを虎視眈々と覗っています。

 なぜ、そのように思うのかといえば、他ならぬ自分自身が長年そうであったからです。

 このことに気づきかけた頃、このような打ち解けた談話の場ではできるだけ第三者の立場に立って他人を観察してみることにしました。

その結果、他人も全く同じ性向を持っていることが分かり、確信するに至ったわけです。
 
 皆さんも自分自身を振り返るとともに他人を観察し、この事を確認されてみてはどうかと思います。また違った新たな発見があるかもしれません。
 
 これは何も職場に限ったことではなく、かしこまった会議などは別として、友人、仲間同士の会合、近所同士の寄合、女性同士の井戸端会議などでも見受けられることです。
 
 私の家内にもこのことを話してみましたが、そういうことはよく経験することだと云っていました。

もうだいぶ昔になりますが、子供が小中学生の頃に所属していたスポーツクラブで知り合いになったお母さん達とは、子供が卒業後もしばらくは集まって話をすることがあったそうで、その時の話題は、子供の教育や家庭のこと、人のうわさ話、世間話など多岐にわたったとのことです。

 家内に言わせると、それはやかましいぐらいに会話が弾むとのことです。

このような時、自分が何かしゃべりたいことがあったら、しゃべっている人が話の途中で一息入れたその瞬間、間髪をいれずに割り込まないとなかなか難しいといっていました。なぜなら、他にもしゃべりたい人たちがいるからです。

私もスポーツクラブの応援をしていた頃のお母さん連中を知っているから何となく想像がつきました。

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 心と身体の関係について(3)

 (お互いに影響しあう心の状態)

 犬は飼い主に似るとはよくいわれることです。

長年いっしょにいると飼い主の精神状態や心の傾向性が犬に影響し、その結果、雰囲気や外見が似てくるのでしょう。

私も以前、18年余り柴犬を飼っていたことがありますが、散歩をさせたりする時に、よその人が飼い犬を散歩させているのによく出くわすことがありました。

会釈してすれ違う時に、確かにこちらがハッとするほど飼い主とその犬が良く似ている場合があります。遺伝子的に身内ではないかと疑いたくなりそうなほどです。

ただ、相手もこちらを見て同じようなことを思っていたかもしれません。

ある一定の心の状態が長期間継続されるとそれが表面化、顕在化してくるよき例ではないでしょうか。

 似た者夫婦というのもあります。長年連れ添っていると相互に影響し合うのか、雰囲気ばかりでなく外見まで似てきます。そういう夫婦を時々見かけることがあります。

それは夫婦円満で幸せに暮らしてきたという証拠でもありましょう。

似た者同士が一緒になったといえば、それまでですが、そればかりでもなさそうです。

 また、ずっと昔、私が結婚したての頃、何人かの会社の同僚を身内に引き合わせたことがあります。あとで身内の者が、私と他の同僚たち全員に似たような感じを受けたと言っていました。皆が同じような雰囲気をかもし出していたというのです。

その時はそんなこともあるのかなと思っていましたが、その後の人生で私も同じような経験を何度かしたことがあり、なるほどと納得したものです。

同じ会社に何年か勤めていると、その会社独特の雰囲気を身につけるもののようです。

心の持ち方は大切です。

どのような心を持つべきでしょうか。

もちろんよき心を持つことが大切です。

ではよき心とはどんな心でしょうか。

それは、相手によかれという思い、親切、勇気、責任感、克己心、忍耐、優しさ、愛などでしょう。

これらを簡単にまとめて言うとするならば、「自分に対しては厳しく、人には優しい心」ということになるでしょうか。

 本編の結論は、よき心を持続して持つように努力すべきであるということです。

なぜなら、よき心を持てば、病気の予防にもなるし、人間関係もよくなり、幸福な人生を送る秘訣にもなるからです。  


本テーマ完

心と身体の関係について(2)

  (病気の原因の大半は心の状態)

 病気とは気の病と書きます。「病は気から」ともよくいわれます。しかし、すべての病気がそうであるとはいえないようです。

たとえば、物理的な外部要因によるケガとかウイルスによる病気は別です。ただ、ケガやウイルスによる病気も油断の心があったためと言えなくもありません。いずれにしろ大半の病気は心が原因しているのではないでしょうか。

それも悪しき心が顕在化してきたのではないでしょうか。

 もちろん逆に、身体が悪くなって、心の方も悪くなる場合もあり得るでしょう。

体が不調になると、愚痴や不平不満が出やすくなり、心も悪くなる場合があります。

そして悪循環を繰り返します。また「健全なる精神は健全なる身体に宿る」とも言われます。

 しかしながら、これはあくまで従と考えるべきもので、主とすべきは先ず心の方でしょう。

 心が原因で病気になる例としては、ストレスや過度の緊張により胃が痛むことや、
ひどい場合には、胃炎や胃潰瘍になることなどがあります。また長年の暴飲暴食や運動不足によりいろいろな病気を併発する場合もあります。

いわゆる生活習慣病といわれているものです。個人差はあるでしょうが、これなども自分を律することを知らない心や怠慢の心が原因といえるでしょう。

 ガンなども長年のストレスまたは破壊的な憎しみの心、あるいは自己破滅的な心などが影響してガン細胞として顕在化してきたのかもしれません。

現在では、各国において喫煙とガンとに密接な関係があるとの研究報告がなされています。確かに煙草には発ガン性物質が含まれているのでしょう。

ただ喫煙してガンになるのは発ガン性物質だけによるものではないように思われます。

これはかってな推論ですが、心のあり方も影響しているのではないでしょうか。中毒性の煙草を飲み続けるというのは、ずっと不安、心配、ストレスなどの溜まりやすい生活を送っているからだと考えられますが、それがガンを生み出す一要因になっているのではないかと思われます。

その心のあり方と発ガン性物質との相乗効果により、ガンが発生しやすくなっているとも考えられます。

今後の医学の発達に期待したいと思います。

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「心と身体の関係について(1)」

3回シリーズです。

 (心の傾向性が身体に顕在化してくる)

 良い心も悪い心も長年の心の傾向性として持続すると、それが身体に顕在化してくるようです。

四〇歳すぎたら自分の顔に責任を持てとはよくいわれていることです。

年をとった方の中でも、ああ、あの人はいい顔をしているなという方を見かけることがよくあります。

 特に女性でお年を召した方で若々しく、穏やかで美しい方がおられます。おそらく純粋で美しい心でずっと生きてこられたのでしょう。そしてそれがそのまま顔に現われてきたのでしょう。

逆に、若い頃は純情そうで美人であったのが、その後の人生の生き方が問題であったのが、中年以降、あまりよくない人相、たとえばきつい顔になっていたりする場合があります。

社会の中でもまれているうちに心の持ち方が悪くなったのでしょう。

よこしまな心、自分だけよければいいというような心、人をだますような心、妬むような心といった、いわゆる悪しき心の傾向性が悪相として顔に顕現してきたのでしょう。

また神経質な方は眉間に縦皺がはいったり、怒りっぽい人は、目が吊上がったりして厳しい顔つきになるようです。

 心の美しい人は、美しい顔になります。化粧にたよらなくてもよくなります。

妬み、嫉み、怒り、憎しみ、愚痴、貪欲、猜疑心、自惚れ、劣等感などの悪しき心を捨て、穏やかさや平静さを保つように努力していくのが美しくなる近道のような気がします。
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嫉妬心を克服するには(4)

前回まで、いろいろと劣等感とその対処法について述べてきましたが、 次にまとめとして対処法について、自分への戒めの意味も込めて、箇条 書きしてみます。

(1) 挫折したのは目標が一つしかないからではないか。この意味では 目標は複数持った方がよい。そして小さな目標から達成し、順次成 功体験を積んでいくこと。 (2) 劣等感をバネにしてがんばってみる。

(3)劣等感は自分だけではなく誰でも持っているものだと思って開き直る。 自分の劣等感について、自分が気にしているほど、他人はそれを気に していないということを知ること。

(4)すべての面ですぐれた完璧な人間はいないと思うこと。 一種の居直りが必要。そう考えることで気も楽になる。

(5)悩んでもどうしょうもないような劣等感は捨てる。例えば足が短いと いったような肉体上の劣等感等。

(6)努力すればなんとかなりそうなものについてはがんばってみ る。 ただし簡単にはあきらめない。 人が1年かかるものであっても、自分は2年、3年はやってみるつも りで努力するようにする。 2、3年では他人との違いはわからないだろうが、さらに、10年、20 年と続ければ、誰の目にもその違いは明らかとなる。 耐え続ける辛抱強さが必要である。 忍耐は平凡が非凡となる秘訣である。 もしどうしても道が開けないならば、潔くあきらめて執着しない。 別の道を捜すこと。 がんばったことは決してむだにはなっていない。

最後に劣等感の効用について考えてみます。 劣等感に効用があるのだろうかと思われるかもしれませんが、劣等感への 対処法を充分に踏まえた上であれば、効用と思われる面もあり得るよう です。

例えば、劣等感の種類にもよりますが、時々、劣等感が発生することにより、 自己慢心や自惚れの心を抑止する効果があるのではないでしょうか。

また、劣等感をバネにして、向上へ向けての努力を開始する人は大勢います。

さらに劣等感を経験することにより、人の痛みや悲しみや苦しみが分かり、 人間というものを知ることができ、それだけ、人間としての幅が広がります。

劣等感にはこのような効用がありそうです。 この他にもたくさんあるかも知れません。 劣等感を持ってますます落込むのではなく、劣等感と上手につきあって、 自己の成長に利用していったほうが、得策といえるでしょう。                        (本テーマ 完)      

嫉妬心を克服するには(3)

この「自己の重要感に対する欲求」がある限り、通常の状態では、他人への評価が自分より高ければ、この嫉妬心と言う感情が、自然発生的に生じるであろうことは、容易に想像がつきます。 通常の状態というのは、自分とその比較される他人とが、自分から見て、才能、能力の面においてほぼ同等と見なされる場合に、他人が高い評価を受けた場合です。 極端に差がある場合には、あまり嫉妬心はおきないものと考えられます。 また、自分の関心領域で、自分が現に向上を目指して、鋭意努力している分野や領域で、他人が成功したり、自分より評価された時にも、嫉妬心が起きやすくなります。 逆に、自分の関心外で、努力目標としていない領域では成功している人をみても、妬ましく思わないものです。 例えば、オリンピックなどで、水泳の選手が金メダルを取ったのを見ても、水泳に関心がなければ、その選手に対してすごいなとは思っても、妬ましいとは思わないでしょう。 個人レベル以外のもっと大きな国レベルでの嫉妬心もあります。 所得が大きくなるにつれて税率が高くなる累進税率は、日本の方が欧米より高いといわれています。 これは日本の方が金持ちに対する嫉妬心が強いからだといえましょう。 なぜ、日本の方が強いのでしょうか。 この理由は、日本が歴史的に農耕社会であったことと関係があると思われます。 農耕社会は、言い換えれば、同質社会であり、皆が同じ平等が尊ばれます。 日本には「出る杭は打たれる」という諺があります。 頭角や才能を表すと、周りから非難されたり、災いに会うということです。 これも嫉妬心から起きることです。                         (次回へ)